工場日誌

†町工場の多い町から†

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二灯式信号機と腕木式信号機を組み立てる

どーも、yossyです。車両のキットばかり組み立てていたので、
手軽にできそうなアクセサリキットを組み立てることにしました。

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先日購入した塗装済みの信号機2種を組み立てることにします。
線路際のアクセサリとして目立つ存在です。

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まず2灯式信号機から。現示は停止×2、注意×1、進行×1の
計4種類が含まれ、筐体と柱の位置関係もある程度自由に設定できます。

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ステップを組み立てます。ステーは向きがあるので
向きに注意してプラ用接着剤で接着します。

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筐体は裏側に大きな穴が開いています。細かいモールドがある箇所の
裏手にあたるため、型に流し込んだプラスチックがきちんと回るように
こうなっていると推測されますが、そのままにするとカッコ悪いです。

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まずφ1.0プラ棒を接着します。隙間は瞬間接着剤を流し込み、
固着後に飛び出たプラ棒をカットしてヤスリで仕上げます。

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最後に白を筆塗りして仕上げます。

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最後に柱にステップと筐体、基礎を取り付けます。説明書では筐体は
柱から前に突き出した格好で取り付けるように描かれていますが、
これ以外の取り付け方でも良さそうです。

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お次は腕木式信号機。かつてはローカル駅舎に付属していましたが
今回はそれとは別に新規に型を起こしているようです。

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塗装済みではありますが凹凸が多い部品ゆえなのか、塗装のはみ出しや
塗料が回っていないのが気になります。はみ出している部分は
デザインナイフの刃先を立ててカリカリ削り、塗料の回っていない部分は
黒でタッチアップします。

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最初に柱の基部を取り付けます。柱と基部の双方に欠き取りがあり
この書き取りを合わせることで、位置決めがしやすくなっています。

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基部にはワイヤが通る滑車パーツが付きます。滑車パーツも根元に
欠き取りがあり、これを基部パーツの突起に噛み合わせて接着します。
余談ですが、東北や北海道など豪雪地帯に設置される信号機では
滑車と錘が根元ではなく、地上から1.5mほどの所に取り付けられています。

20170625015.jpg20170625016.jpg
ハシゴを取り付けた後、輪っか状のパーツを取り付けます。
点検台の一部を表現したパーツだと思います。

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このパーツはハシゴに取り付けますが位置合わせが難しく、ヘタすると
弾き飛ばしてしまいます。そこで大まかな位置にセットしたら
流し込みタイプの接着剤を流し、10秒ほど待ってから慎重に
位置の微調整を行うようにするとうまくいきます。なお予備はないので
取り付けなくてもOKです(このタイプも普通にありました)。

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基礎パーツには穴が貫通していないのでφ0.7で貫通させます。こうすると
裏側から接着剤を流せるので、キレイに仕上げることができます。

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腕木は出発・場内と通過、遠方の3種類が含まれています。上下2段のものは
実物の世界では「場内+通過」か「出発+出発」でしたが、灯りの色の
組み合わせが「赤+黄」と「青+青」なので、元の塗装を生かすのであれば
「場内+通過」になります(出発信号に黄はないし、2つ同時に青になることも
ありませんからね)。「出発+出発」にする場合は「赤+黄」を「赤+赤」に
することで再現可能です。

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腕木式信号機にはやはりSLが似合います。TOMIXの腕木式信号機の方が
動くし灯りも点灯しますが、その分いいお値段なので、数を揃えるなら
GM製の方がいいですね。

キニ15・キハニ15・日立モハ13(改装前) 出場

どーも、yossyです。JNMAの季節が近づいてきました。梅雨に入ると
塗装ができなくなるので突貫工事で3両を出場させました。

20170614001.jpg20170614002.jpg ボナファイデ製キット
まずは国鉄キニ15。キハ10系のキロハ18-4、5を1961(昭和36)年に
多度津工場で改造した荷物車で、旧3等室側に運転台を増設しています。
屋根に見える3つのコブは扇風機の取り付け部で、天井の低い旧2等室に
扇風機を取り付ける際に、少しでも高さを稼ごうとした名残です。
ナンバーは2番にしましたが、こちらは1979(昭和54)年に廃車されています。

20170614003.jpg
この車両の特徴はなんと言ってもこの面構え。キワ90を髣髴とさせる
インパクト十分の顔付きは、四国の郵便荷物気動車の特徴といっても
過言ではありません。さらに井桁の形の前面補強も四国車の特徴です。
四国は各県を結ぶ道路の整備が遅れ、鉄道による郵便・荷物輸送が
盛んだったことから、こうした個性の強い車種が多く存在しました。

20170614004.jpg20170614005.jpg こちらもボナファイデ製キット
国鉄キハニ15。キハ10系の中間車キハ18-21が種車で、1形式1両のみ。
排気管が通る部分を境に増設運転台側が荷物室になっていました。
1964(昭和39)年に改造され、和歌山に配置されましたが、3年後には
新潟に転属。1978(昭和53)年に廃車、形式消滅となりました。

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比較的原形を保っていますが、正面貫通扉の
窓位置が高く独特な印象を与えます。

20170614007.jpg20170614008.jpg ワールド工芸のキット(イベント限定品)
最後は日立電鉄モハ13。1935(昭和10)年に汽車会社で製造された
相模鉄道(現JR相模線)キハ1000がそのルーツ。外見に目が行きがちですが
日本初の電気式ディーゼルカーであり、国鉄が試作を行う17年も前に
神奈川の一地方私鉄に登場したことは特筆すべきではないでしょうか。
120馬力のユンカース製エンジンで発電機を回してモーターを駆動し、
連結運転時も運転士1人で制御可能(総括制御)、発電ブレーキを常用し
発生する熱を車内暖房に使うなど当時としては非常に先進的な車両でした。
その実力も申し分なく、付随車を従えて横浜線経由で八王子まで
入線を果たした実績もあるそうです。4両が在籍し、戦後に電車になった後
1948(昭和23)年に日立電鉄に移ってきました。入線直後に行われた試運転で
最高速度の時速55km/hを上回る時速70km/hを軽々とマークし、同乗していた
関係者を慌てさせた…というエピソードもあったとか。

20170614009.jpg 右は末期の切妻車体(アルナイン製)
そんな試運転の結果から歯車比を変更し、モハ13~16として活躍しましたが
1965(昭和40)年の車体更新によって、まさかの平凡すぎる切妻車体に。
車体裾の形状だけが僅かに種車の面影を残す程度で、かつての特異な姿は
失われてしまいました。高度成長期には各地から中古の中型車が続々と
入線しましたが、小型で1両で運転できるモハ13は使い勝手がよかったのか
日立電鉄を代表する車両として1996(平成9)年まで活躍しました。
廃車後はすべて解体されてしまったようですが、相鉄ヲタとしては
ぜひとも里帰り&復元して欲しかった車両でもあります。

DD13とセントラルライナー

どーも、yossyです。今年もゴールデンウィークがやってきました。
天気にも恵まれそうで、どこも混んでるみたいですね。

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TOMIX40周年記念でリリースされた国鉄DD13を購入しました。
DD13はSLが担っていた構内入換の無煙化を目的に1958(昭和33)年から
製造が開始された小型のディーゼル機関車で、0番代(264両)、
台車や歯数比を変更した300番台(83両)、重連総括制御仕様とした
500番台(18両、0番台ベース)と600番台(51両、300番台ベース)がありました。
今回のラインナップされたのは300番台と600番台。このうち600番台は
「寒地型」とされていますが、姫路区や吹田一区に配属された車両もあり
和田岬線で客車を牽引したカマも600番台でした。なお清水港線は
0番台の後期型(112~264)なのでKATO製品が該当します。

20170503002.jpg300番台(上)と600番台
付属物はナンバーとメーカーズプレート、屋根上パーツなど。
粘着重量を増やすためのウェイトも付属しています。

20170503003.jpg300番台(左)と600番台
両者の差異は前述のように重連総括制御装置の有無なので、端梁に
KE63型ジャンパ栓、元空気ダメ管(MR)と釣り合い管コックが増えて
賑やかになっています。また600番台は前面窓にデフロスタが
表現されています。端梁はスミ入れブラックで汚しています。
ナンバーは300番台は新鶴見・品川に配置された355番、
600番台は東新潟・長岡に配置された627番にしました。

20170503004.jpg300番台(左)と600番台
側面から。ボンネット上部と先端付近のラジエータグリルはグレーで
塗装されていますが、ここもスミ入れブラックで塗装すると引き立ちます。

20170503005.jpg
斜め上から。ボンネット上のラジエータファンにも
スミ入れしても良かったかもしれません。

20170503006.jpg20170503008.jpgTOMIXの300番台(左)とKATOの0番台
20170503007.jpg
今度はKATOの0番代と並んでもらいました。こうして並べても
違和感はないですが、KATO製品は信号炎管が太いのが気になります。

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続いて313系8000番台。2013年3月まで運転されていた中央本線名古屋口の
座席指定制の快速列車「セントラルライナー」用として1999(平成10)年に
登場しました。

20170503010.jpg
セット内容。3連2本の6連がセットになっており、幌枠や方向幕、
インレタが付属します。インレタはB201編成~B206編成までの
全車両分が含まれています。

20170503011.jpg20170503013.jpg
前面方向幕は種別幕と方向幕が一体になったもので、パーツの裏側に
印刷されています。出荷時には「セントラルライナー 中津川」が
組み込まれています。

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構造は従来の313系と同じですが、前面窓周りの
ブラックの塗り分けもあって精悍な表情に見えます。

20170503015.jpg
クモハ313-8500。中津川方の先頭車です。車内は転換クロスシートで
シートピッチは910mmまで広げられています。また中央の扉は締切可能で
セントラルライナーやホームライナーでは2ドアで使われました。
車端部のシートはテーブル付きのボックスシートになっていました。
そういえばこのレイアウトは373系に近いものがありますね。

20170503017.jpg
モハ313-8500。今回調べるまで知りませんでしたが、上り方の台車は
付随台車となっていて、3両編成でもMT比が1:1になっています。
8000番台以外でも313系の3連はすべてこのような構成になっています。

20170503016.jpg
クハ312-8000。名古屋方の先頭車で8000番台唯一の付随車です。
余談ながら8000番台なのはクハだけで他は8500番台になっています。
4連を組む1000番台の3連バージョンに1500番台が割り振られているのに
ならったのでしょうか。

20170503018.jpg
ナンバーはB201編成とB204編成にしました。前面窓助士側の編成番号は
付属のインレタを使いますが、斜めになるとカッコ悪いので注意します。

20170503019.jpg古虎渓あたり
セントラルライナーの運用を失った8000番台は中央本線の普通や快速、
ホームライナーとして活躍を続けています。セントラルライナーは
廃止直前に乗ったきりでしたがなかなか快適でした。
首都圏での転クロ車導入はもはや叶わぬ夢なのでしょうか。

キハ91を仕上げる

どーも、yossyです。関東では雨やら強風やらで
せっかくの桜が早くも散り始めています(´・ω・`)

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今日はKATOのキハ91系を出場させます。
無煙化や列車増発に寄与したディーゼルカーですが、唯一の弱点が
エンジンが非力なこと。1台あたりの馬力は初期のDMH17で160馬力しかなく、
そのエンジンで1両あたり30~35トンの車両を動かさなくてはなりません。
さらに乗客の重さ、路線の勾配もあるのでスピードアップには限界があり
優等列車や山岳路線向けの車両には2台搭載することで対応しました。
しかし根本的な解決にはならないうえ、将来の冷房化の際に発電機を
設置する場所の確保が難しく、大出力機関の完成が待たれるようになります。
こうして1966(昭和41)年に登場したのがキハ90・キハ91形です。

キハ90は300馬力、キハ91は500馬力エンジンをそれぞれ1台搭載し、
比較の結果、キハ91の方式で長期の使用に耐えられるかのテストが
行われることになりました。翌年にはキハ91-2~8、キサロ90-1~3が
製造され、名古屋と長野を結ぶ急行「しなの」で営業運転を始めました。
1973(昭和48)年の中央西線電化まで「しなの」「きそ」で活躍し、その後は
高山本線の急行「のりくら」で1976(昭和51)年9月まで活躍を続けました。
試作車だからか最後まで冷房化されず、全車解体され現存しませんが、
キハ91系で培われた技術はキハ181系やキハ65形に活かされています。

20170416002.jpg
車両構成は本家のサイトにありますが、キハ91-9が含まれていることから
1971(昭和46)年以降の姿になります。3枚折戸の乗降ドアがいかにも
試作車然としています。折戸は車体強度を下げる戸袋が不要で、広い
開口面積を確保できる利点がある反面、気密性の低下や乗客を巻き込む
恐れがあるといった欠点もあり、特に寒冷地では雪で動作不良を
起こすこともあったようで本格採用には至りませんでした。

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セットにはジャンパ栓と電気連結器、貫通幌が付属します。

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ジャンパ栓はホース部分を黒でタッチアップします。ホース部分にも
ゲートがありますが、先にデザインナイフでカットしておきます。
黒が乾いたらタミヤのスミ入れ塗料(ブラック)でソケット部分を
塗っておき、生乾きの状態で綿棒を使ってふき取ると、プラの質感を
消すことができて落ち着いた仕上がりになります。

20170416005.jpgキハ91-9(上)は排気管が1箇所
屋根上はエンジンの排気管にスミ入れ塗料で色差しをします。
こちらはふき取らずそのまま乾燥させます。
排気管は2箇所ありますがキハ91-9だけは1箇所です。

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キハ91。前面はパノラミックウィンドウを持つ後期型のキハ58系に
似ていますが、車体裾より前面窓が前方に出っ張っているため
下膨れの表情に見えます。屋根上には自然通風式ラジエータが
設置されていますが、このラジエータは所定の冷却能力を
発揮できず、度重なるエンジントラブルの原因にもなりました。
後に製造されたキハ181系中間車(キハ180)にも搭載されましたが
板谷峠で補機が必要になるなど足を引っ張ることになりました。

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キハ91-9。300馬力エンジンを搭載したキハ90-1は出力の違いから
予備車として車庫で昼寝をする日々でしたが、キハ91と同等の
エンジン・変速機に交換して名前もキハ91-9と改めて戦列に
加わることになりました。キハ91-1と共に埋め込み形の前照灯と
垂れ目のパノラミックウィンドウがチャームポイントでしたが
キハ91-2以降はコスト削減のため直線的な形状に変更されています。
また客用扉に帯が塗装されていない点も特徴です。

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運転台窓下の縦長のボックスは、非常時に他形式気動車と
併結した際にマスコン・ブレーキの制御信号を読み替える装置です。
この角度で見ると、キハ90の愛嬌ある顔立ちがよく分かります。
最近はこうした試作車も製品化されるようになり、しかも時代考証も
しっかりされているので有難いものです。

鉄道コレクション24弾

どーも、yossyです。関東はコートいらずの暖かさになってきました。
いよいよ春本番ですね。

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鉄コレ24弾を購入しました。ラインナップを見る限りメーカー側も
ネタ選びに苦労しているであることを感じます。地方私鉄の小型車は
やはりガレージメーカーの独擅場であることに変わりはなさそうですね。

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717系。東北・北陸・九州の急行電車用として1962(昭和42)年から製造された
交直流急行型電車は、電源周波数の違い(50Hz/60Hz)や搭載機器の変更で
6形式もある大変複雑なジャンルに成長しました。しかし急行の相次ぐ廃止で
働き場所を失い、東北・九州で使われていた車両は717系に改造されました。

717系は種車の違いで東北地区の0、100番台、九州地区の200、900番台があり
今回プロトタイプとなったのは1988(昭和63)年に改造された仙台センターの
T-2編成です。ATS-Pと抑速ブレーキを搭載しておらず、東北本線(白石-利府)
および常磐線(いわき-岩沼)で使われました。後継のE721系の導入で
2007年11月で定期運用が終了、翌年2月付けで廃車されました。

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クモハ123-1。第20弾で非冷房時代が発売されましたが、今回は冷房化された
最晩年の姿がプロトタイプになっています。中央本線の辰野-塩尻は
1983(昭和58)年の塩嶺トンネル開通後に支線扱いになりましたが、同区間の
普通列車用として1986(昭和61)年に登場しました。種車は長野運転所所属の
クモニ143-1で、側面はユニット窓がすらりと並びます。クモハ123は東海や
西日本にも配置されましたが、最も国鉄らしいオーソドックスな姿でした。
1995(平成7)年に冷房化され辰野-塩尻間を往復しましたが、回送を兼ねて
朝夕は塩尻-松本間の普通運用もありました。2013(平成25)年3月改正で
E127系にバトンタッチしました。訪問記はこちら

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113系3800番台。福知山近辺の山陰本線・福知山線電化に合わせ、全国から
集められた113系0番代に対し半自動ドア化・耐寒装備を施した800番台が
1986(昭和61)年に用意されました。800番台は4連と2連がありましたが、
輸送力の適正化とワンマン化のためクモハ112+モハ113のユニットから
2000(平成12)年10月に再改造されたのが3800番台です。モハ113の増設された
運転台は小窓が3枚並んだ旧国さながらの顔付きをしており、腰板部の
補強板と相まって強烈なインパクトがあります。ナンバーは福知山運転所の
N8編成で、2008(平成20)年8月25日付けで廃車されました。
現在は223系5500番台がその任を引き継いでいます。

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113系2000番台。国鉄時代の1978(昭和53)年にシートピッチを拡大した
マイナーチェンジ車が既に2000番台を名乗っていましたが、こちらは
2000番台に高速化対応改造を施した7000番台が種車になっていて、改造時に
元の番号に戻ったものです。103系っぽい顔付きと昔の飯田線で見慣れた
塗装のせいか、不思議と違和感なくまとまっている気がします。ナンバーは
日根野のG202編成で、同僚のG201編成とともに御坊-紀伊田辺間を中心に
活躍を続けています。

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713系。1984(昭和59)年の長崎本線普通列車の電車化に合わせて
715系と共に製造された車両で、当時の国鉄の懐事情もあって
2連4本が試作されただけで終わってしまいました。
8両全車が900番台という異端児でしたが技術的に目新しい点はさほど
多くなく、交流電車初の回生ブレーキを搭載したことぐらいでしょうか。
1996(平成8)年に南福岡から鹿児島に転属、サンシャインの愛称を与えられ
新たに宮崎空港線での任務が与えられました。2008(平成20)年以降、
機器交換と同時に番号も0番台になり、晴れて?量産車となりました。
プロトタイプとなったのは南福岡時代のD903編成です。
以前マイクロエースからも発売されていましたが、偶然なのか
ナンバーは重複しておらず一安心。

最近の鉄コレは高価になってしまったので
N化はいつか気が向いたときにやるつもりです。

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プロフィール

  yossy

Author:  yossy
1982年7月生まれのカニ座。
事業用車と吊掛電車をこよなく愛する
懐古主義のへっぽこSE。

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